300年前の備前藩主・池田光政の思い

日本民家再生リサイクル協会のイベントで昨日、岡山県に行ってきました。

岡山もやっぱり雪で、当初予定していた吹屋と備中高梁には行けなかったのですが、備前市の閑谷(しずたに)学校と倉敷へ行ってきました。

今回は閑谷学校のことをご報告します。

閑谷学校2

閑谷学校というのは、江戸時代の備前藩主・池田光政が庶民の教育を目的として1670年(寛文10年)に設立した藩校です。

徳川光圀・保科正之とならんで、天下の3名君の1人に挙げられる池田光政は、藩政の目標を儒学の教える仁政の実現に置き、儒者を次々と招きここを教育の場としたそうです。

この閑谷学校の敷地内に点在する25の建物は重要文化財に指定されており、そのほとんどが備前焼瓦で葺かれています。
そして講堂は、現存する学校建築としては世界でも最古のものだそうで、国宝に指定されています。

下の写真は講堂の内部の写真です。
(クリックすると画像を拡大表示できます)

閑谷学校1

僕はこの閑谷学校を10年ほど前に訪れています。

その時は備前焼の瓦の美しさに圧倒されて、ひたすら写真を撮りまくっていましたが、今回は木材やデザインのプロポーション・木割などを見てきました。

前回来た時になぜこれを見抜けなかったのか?と我ながら情けない思いだったのですが、まずは使われている材料のあまりの素晴らしさに驚嘆しました。
柱はすべて樹齢4~500年は軽く経過していると思われる、芯去り桧の四方柾20cm角。
(講堂内部の欅の丸柱は入室禁止のために見ることができませんでした)

そして昨日僕が一番感動したのは、その建物群の配置計画でした。

当時の藩校で教えていたのは儒学です。

ということで閑谷学校の敷地内には、孔子を祀るために孔子の聖廟が建てられています。

ここで下記の写真を見てください。

閑谷学校3

閑谷学校へ通ってくる生徒たちは、まず学校の敷地の手前に設けられた堀を越えるために、橋を渡らなければなりません。

そして、その橋の向こうに見えるのが校門で、校門の左奥に見える一番大きな建物が講堂(=校舎)です。

上の写真だと少し判りにくいのですが、門の向こうに小さな建物が垣間見えます(下の写真を見てください)。

閑谷学校4

 

このように校門の奥に見えるのが孔子の聖廟です。
つまり、生徒たちは、毎朝必ずこの聖廟に真っ直ぐ向かって登校してくるのです。

そしてこの聖廟は、この敷地内で一番高い地盤に建てられています。

備前藩主・池田光政の教育にかける思い、そして人を育てるということに対する情熱が300年以上の時を経て建物を通じて伝わってきました。

久々に感動した建物でした。

(株)木造建築東風のサイトはこちら
世界に、300年先も美しい風景を

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