動けなくなる襖絵

僕はこれまでに、襖絵を見た瞬間に動けなくなった経験が2回あります。
(註:僕は襖絵フェチとか研究家ではないので、素晴らしい襖絵はもっともっとたくさんあると思うのですが、僕の少ない経験からは2回、という意味です)

その作者の1人は長谷川等伯。
もう1人は狩野探幽によるものでした。

長谷川等伯の絵は、猿猴捉月図(えんこうそくげつず)。
京都・南禅寺の中の金地院(こんちいん)という塔頭(たっちゅう)にあり、たまに特別公開されます。
(↑機会を見つけて、ぜひ行ってみてください)
木の上にいる手長猿が池に映った月をすくいとろうとしている様を描いたもので、絵全体の配置の妙により、猿のいじらしさ・無邪気さが迫ってきて心を掴みます。

もう1人の狩野探幽の絵は、最近あるお寺(←関係各位にご迷惑がかかるので、名前は伏せておきます。ごめんなさい)でごく短い時間拝見したのですが、やはり同じように動けなくなりました。
こちらは動物などを描いたものではなく、山水画(もちろん水墨画)だったのですが、その絶妙な間の取り方(絵の配置)、極限まで削ぎ落とした少ない筆数と濃淡のみで表す世界に緊張感がみなぎっており、息を呑んで立ちつくしました。
(↑もっとゆっくり観たかった・・・)
作者が紙と向き合い、筆を構えたまま微動だにせずじっと気を蓄え、自分自身の中で何度も反芻してイメージを膨らませた後、手のうごくままに任せて描き切った様が目に浮かびました。

どちらも安土桃山~江戸時代初期に書かれた水墨画ですが、現代でもその輝きを失っていないということは、普遍的な美意識に基づいて描かれたものであり、かつそれを理解する同じ美意識が江戸時代の人たちと同様、現代の僕たちにも備わっているということですね。

流行に流されて廃ってしまう美もあれば、そうでないものもある。
自分も後者でありたいと思いますが、それは今後の自分自身の姿勢次第でしょう(ガンバラネバ)。

水墨画ではありませんが、フランク・ロイド・ライト設計の落水荘に行った時、安藤広重の浮世絵(←もちろん本物)が展示されており、その絵の前でも同じような感覚を味わいました。

ライトは帝国ホテル旧館(←現在は明示村に移築保存されています)の設計報酬で、日本の美術品を購入しコンテナ1車に満載してアメリカに持ち帰ったと言われています。
そのうちの1点が上述の広重だったのでしょう。

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世界に、300年先も美しい風景を

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