塗師屋造り

前回の記事でも書きましたが、4/5(木)・6(金)の2日間に渡って、能登震災の支援ボランティアのため、石川県輪島市へ行ってきました。
行ったボランティア活動の内容については前回の記事を参照していただくとして、今日は輪島で感じたこと・学んだことについて書いてみたいと思います。

僕は超朝型人間で、毎朝だいたい4時ごろ起きてしまう(←目覚ましは使いません。勝手に目が覚める)のですが、輪島でもやはりいつも通りAM3時に起きてしまいました。
一緒にボランティア活動を行った協会の仲間と民宿の大部屋で雑魚寝状態だったので、電気を点けたりするわけにもいかず、1時間くらい朝風呂に入ったり(笑)布団の中でごろごろしたりしていたのですが、どうしても寝られません。
そこで、明るくなり始めた6時前に散歩へ出ることにしました。

註:ここから先の画像は、すべてクリックすると拡大表示できます

↑これは輪島市内・朝市通りの裏の路地に面した民家の軒先に下がっていた唐辛子です。
黒塗りの構造材、白塗りの漆喰壁をバックに、わら縄と唐辛子の色がきれいでした。

輪島市内では、神社の門の揚屋(あげや)や曳家(ひきや)をして建物を守ろうとする風景が何ヶ所かで見られました。
こういう光景を目にすると、復興に対する地域の皆様の力強いエネルギーを感じますね。

輪島といえば、やはり朝市と漆器です。
上の写真は漆を掻いた後の漆の木です。
工房長屋という施設の店先で見かけたので写真を撮りました。

僕はこの掻いた後の漆の木が大好きです。

我ながら、これはあまり品のいい趣味ではないと思いますが(笑)、このような漆を採取した後の漆の木を、一度建物に使ってみたいというアイデアを僕はずっと以前から持っています。

随所を漆で仕上げた家の玄関に一本だけ、このように掻き跡の残る漆の木をそのまま1本だけ建てて、漆の強いエネルギーや職人の思いを表現した家をつくってみたいなぁと考えています。
もしそういうクライアントが出てこなかったら、最後に自分の家でやろうかな。

でも、しょっちゅうかぶれたりして(笑)。

僕も今回輪島に行って初めて知ったのですが、輪島には塗師屋(ぬしや)造りという建て方があります。
漆の職人のことを塗師(ぬし)と言うのですが、その塗師が仕事と生活をするための建物です。

今回の輪島での滞在で非常に運良く、ある方のご紹介を得て塗師・大崎庄右衛門さんのお宅におじゃまして大崎さんから漆のお話をうかがうことができました。

大崎さんのお宅も、今回の震災で大きな被害を受けました。
塗師蔵(ぬしぐら※)の壁が落ち、母屋も少し傾きました。
※ 塗師蔵とは塗師が作業をする蔵のこと

上の写真はその塗師蔵の2階でお話を伺ったときの写真です。

実は、この塗師蔵の2階には普段上がることができません。
というのも、塗師蔵の2階は漆の仕上げ塗りおよび乾燥工程を行うスペースなので、チリが一切許されないからというのがその理由です。
「毎朝毎朝、塗師蔵の2階の床を拭き掃除をすることから仕事が始まる」
と大崎さんはおっしゃっていました。
今回はたまたま震災の直後で、壁土などが落ちて室内がまだきれいに片付いていない状態だったので、作業には使われておらず、特別に上がらせていただくことができました。

漆を乾燥させるのに、蔵は温度・湿度の変化が少なくていいそうです。
しかし最近は塗師蔵で作業をする塗師が減ってきて、空調機を使って温湿度調整を行うケースが主流だとのこと。

大崎さんからは、いろいろと漆のことを教えていただきましたが、一番印象的だったのは大崎さんの使われている漆のことです。
大崎さんが使っている漆は、今から約40年前に採取された国産漆(つまり40年間寝かせたもの)で、大崎家では代々このように先々代が購入したものをその孫の世代が使う、ということを受け継がれているそうです。

これはやろうと思ってできることではありません。
林業と同じだなぁ、と僕はその時思いました。

自分が生きる糧は、先々代が購入し準備しておいてくれたものから得る。
そして自分は孫世代のために材料を新たに購入し、それを守り、使わずに育てるだけ。
脈々と受け継がれる伝統、なんとしても守るべきものがそこにはありました。

そんな大崎家は当然のことながら塗師屋造りです。
母屋の構造材には丹念に輪島塗が施されていました。
80年前に建てられた後、漆塗りの面には一切手を入れていないというその輝きは信じられないほど美しかったです。
この家は、竣工当時20回漆を塗り重ねたそうです。

通り庭(土間)の壁面

壁面の貫にも漆がかけられていました。
木材はすべてアテ(能登ヒバ)の木
気の利いた形の金物にセンスを感じました

輪島では木部に漆を塗って仕上げるため、木の使い方が京都などとはちょっと違います。

漆を塗った後美しく見せるためには、見付面に柾目(まさめ)ではなく、板目(いため)が出るように使います。
柾目というのは、平行線状に真っ直ぐな目の詰まった年輪が出るように木取りした木材のことで、一般に柾目の方が上品で美しく高価ですが、柾目に漆を塗ると表情が乏しくなり味わいに欠けます。

そういった事情で、能登では長押なども見付杢で使います。
(白木の文化圏では、一般に長押は見付柾で使う。
面皮の長押などは別だが、面皮長押はその話だけで一本の記事に
なってしまうのでまた別の機会にお話します)
上の化粧貫の写真を見てもらえればよく分かると思います。

またまた長~くなってしまった。
つい、こういう建築関連の伝統技術ネタでは書きすぎてしまいます・・・。

最後まで読んでくださってどうもありがとうございました。

【ヒトリゴト】 日本産の漆と中国産の漆とでは単位体積あたりの材料価格が
7~8倍も違うのですが、双方は同じものではなく、
科学的に成分が違うそうです。ビックリ!
これも大崎さんにおしえていただきました。

(株)木造建築東風のサイトはこちら
世界に、300年先も美しい風景を

4 thoughts on “塗師屋造り

  1. haya37

    美しい貫ですねぇ。
    こういう地域独特の作り方が生きている、ということはすばらしいですね。
    孫の代のために準備する、という考え方は、ちょっと意味合いは違うかもしれませんが、老舗料亭の方の講演でも聴いたことがあります。
    調度品、食器などは先の世代の為に購入するそうです。
    料亭は「生きた美術館」であるから、とその料理長は語っていました。

    返信
  2. 応援団の K

    (漆の木の写真を見て)おっ!これは工房長屋だ!
    と、思ったらやっぱりそうでした。
    あの漆の木は印象深いですよね。
    > でも、しょっちゅうかぶれたりして
    ・・・漆は乾いた後はかぶれることはありません。ご心配なく。
    40年前の漆をお使いとはすごいですね。
    私も漆に興味を持ち始めた頃には漆の賞味期限についてかなり誤解していたところがあって、古い漆を不良品のように思っていました。だって、ペンキの古いのは固まってしまって使い物にならないでしょ!
    しかも、漆は金属缶で密閉しているわけでもないし。
    ほんと、漆って不思議で奥深いですよね。
    輪島の復興を祈ります。
    誤解のないように追記しますが、漆はペンキとは全く違ったとても優れた素材なのです。
    興味のある方は、http://www.wajimanuri.or.jp/
    を、ご覧下さい。

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  3. さとう

    haya37さん
    料亭は生きた美術館ですか。
    なるほど、言い得て妙ですね。
    料亭も出てくる器によって、受ける印象がまったく違いますからね。
    瓢亭あたりに一度行ってみたいものです。
    そういえば、以前ニューオータニの山茶花荘へ行った時に(建物の見学です。食べに行ったわけではありません)、京都・龍村が織で作った襖や、著名な書家(名前は失念・・・)による書が表装された襖などが使われていました。
    ああいう空間では、生半可な器出せないですよね。

    返信
  4. さとう

    kさん
    ホンマに今回の輪島行きでは、漆に対する考え方が変わりました。
    本で見聴きしていた内容も、やはり現地でご本人の口から伺うと全く重みが違うものです。
    また少しだけ自分の血肉にさせてもらったような気がします。 感謝。

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