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栗の曲がり梁 荒削り加工を行いました

8/7(木)に、いつも化粧名栗(なぐり)加工をお願いしている、京都市右京区京北町の原田隆晴さんのところへ行ってきました。
今回の目的は、来春大阪府堺市に石場建て伝統構法で建てる長屋門に使う、栗の曲がった化粧梁の荒ハツリ加工です。
(荒ハツリというより、荒削りかな)

全部で4本、ほぼ同じ曲がり・太さの梁が必要なのですが、耐久性を高めるために、今回は赤身だけを使い、白太の部分は切り落とします。

最終的には、下の写真のような化粧名栗加工を全面に施した八角形断面の梁に仕上げます。
(注:下の画像はサンプルとして作ったもので、樹種は杉です)

naguri

原田さんの工場へ行ったら、まずこの状態でした。( ↓ )

kuri_bendingbeam_01

あらかじめ、栗の原木を製材所に持って行って、側面はまっすぐ切り落としてくれてありました。

この日の作業は、曲面部分をチェーンソーで落とすことです。

kuri_bendingbeam_02

栗の木の側面には、あらかじめ原田さんが作ってくれた型板で荒削りのための墨がつけられています。
その墨に沿って、こんな感じで原田さんがチェーンソーを入れて削り落とします。

次の画像は、上端・下端ともにチェーンソーで切り落とし、荒ハツリが完了した状態です。

このように、ほぼ同じ形で4本の曲がった梁を成形していきます。
この状態では、仕上がり寸法よりもかなり大きめに挽いてあります。

木目がきれいな、とてもいい木でした。

kuri_bendingbeam_03

次に、表面に割れが入らないようにするため、
背割り(せわり)という加工を施します。

kuri_bendingbeam_04

梁の上端部は下からは見えなくなるので、
ここにチェーンソーで切れ目を材背の半分まで
入れることで、木の伸縮ができるようにしてあげます。
通常、梁には背割りを入れませんが、この梁にかかる荷重と断面積とを考えた結果、背割りを入れても十分もつだろう、という判断から、美観を保つために背割りを入れました。

ただし、両木口は渡りアゴになって化粧で見えてくるため、木口の1尺ほど手前で背割りを止めています。

kuri_bendingbeam_05

下の写真は、荒ハツリと背割り加工が終わった梁を3本並べたところです。
この状態で冬まで工場内に立てかけて乾燥させます。
上記の荒ハツリ作業の動画をyoutubeにアップしましたので、アドレスを張っておきます。

全部で4本ありますが、どれもチェーンソーの大きな音がしますので、再生の際は音量を調節してからご視聴くださいませ。

栗の曲がり梁 荒削り作業 その1

栗の曲がり梁 荒削り作業 その2

栗の曲がり梁 荒削り作業 その3

栗の曲がり梁 荒削り作業 その4

木造建築東風の木材への取組や考え方については
以下のページで詳しく紹介しています
→ http://www.mokuzo-architect.jp/timber.html

(株)木造建築東風のサイトはこちら
世界に、300年先も美しい風景を

木の文化、土の文化


(↑ぜひ拡大してごらん下さい)

旧中山道沿いには、昔の宿場町の面影を残すまちなみが多く残っていますね。
今回はそんな中の一つ、奈良井宿に連れて行っていただく機会を得ましたのでご報告します。

奈良井宿は長野県の中央部、塩尻市にあります(地図はこちら
出梁造(だしはりづくり)と呼ばれる造りの民家が建ち並ぶ宿場町です。

写真のように、2階の梁が1階の外壁よりも前にせり出していますね。
2階の床を支えるがせりしているから出梁造というのでしょう。
この地方独特の構造で、近畿地方では見られない形です。

奈良井では、とにかく塗り物(←漆塗り)の工芸品を売るお店がたくさんありました。
さすが木曽路です。

以前読んだ、筑波大学の安藤邦廣先生が書かれた本の中で言われていましたが、歴史を紐解いていくと東日本は木の文化、西日本は土の文化なのだそうです。

すごく大雑把に言ってしまうと、早く(飛鳥・平安)から文化が栄えた近畿地方などでは、大きな寺院やたくさんの民家を建てるために豊かな森林がドンドン伐採されつづけ、木がなくなってしまった。
そして応仁の乱や幾多の戦火により民家が焼かれると、そのたびに次々に木は切り出され、木がなくなる。そこで土の文化が発達した。

一方、東日本はそういった事情がなかったため、比較的木に恵まれた文化が発展した。

そのおかげで、関西の家は土壁が一般的で、お椀なども土モノ(焼き物=陶器)が定着した。
一方で東日本では板壁の家が多く、食器なども木地+漆塗りが一般的になったそうです。

僕も生まれは静岡で、元々は東の人間(いまではどっぷり関西に浸っていて、当分離れる気はありませんが)だからでしょうか、塗り物の食器を見るとなぜかホッとします。
もちろん、焼き物も好きなんですけどね。

でもそれとは少し感覚が違う、深いところでやはり木の文化を欲しているのかもしれません。
血だからしょうがないですね。
なにせうちの母方の実家では、今も僕のいとこが林業をやっているという家系ですから。

いろいろと塗り物の店を覗いて、少し長目のとり箸(もちろん塗り物)を買ってきてしまいました。

奈良井宿を後にする前に、木曽のヒノキでつくった木曽の大橋(↓)を見て、

「ああそういえば、錦帯橋で使われていたのは確かケヤキだったって聞いたけど、やはり木曽はヒノキなんだ。」

などと考えました。
そんなところにも、作り手の想いが垣間見えて面白かったです。

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